「着任早々、旧方式はいっさい排し、見たとおり、自由に、思ったように、感じたように制作・作画するようにと言い渡された。(中略)旧美校の厳重なアカデミズムから解放を得た学生達は、喜びに燃えた。しかし、次にくるのは「自由に描く」その自由の意味を全く知らない者がとまどう混乱であった。厳しいながら淡々とした道から、いきなり指標のない茫漠たる砂漠に放り出されたようなものである。特に十六、七歳の技術・技法・技巧のみを当面の目標に絵を学んでいた私には、本当に絵が全くわからなくなってしまった」

加山又造「老巨匠と画学生」『小林古径 作品と素描II』所収、光村図書出版、1983年
小林古径「お茶を喫める茶碗は現代では半泥子の茶碗」
川喜田半泥子「鬼の首 取って帰るや五月晴 また古伊賀叶ふわたしの思ひ 胸のどうきも鷹ヶ峯」

京都鷹ヶ峯の土橋玄庵に懇願して譲り受けた古伊賀水指「鬼の首」の箱裏にしたためられた歌いいな
濱田庄司「河井寛次郎や棟方志功は創りたいものが次々と泉のように湧いてくるようだが、私には何か刺激するものが手許にないと事がうまく運ばない。創造にも二つの型があるようだ」
富本憲吉「民藝派の主張する民藝的でない工芸はすべて抹殺さるべきだという狭量な解釈はどうにもがまんがならなかった。創作こそ美術家の根本理念である。河井、浜田らの民藝派グループの工芸は創作性の僅少な、むしろ伝統の繰り返しを平気でやっている」
富本憲吉「用途を考慮に入れぬ工芸はありえない。当て込みの会場芸術は排斥する。作者自身が手がけた作品がほしい。玄人でも素人でも区別しない」