富本憲吉「知って居れば労せずして得られ慰められる事につまらなく心と身体を使役した。然しその不必要の如く見える苦しみが、私に附焼刃でない陶器や模様での経験や知識を体得させてくれた如く思える」
富本憲吉「湯のみは花の蕾が開きかけ、鉢は花開き、皿は満開」
板谷波山「私は若い頃から仕事に全精魂を傾けることにして今日に及んでいる。一作ごとに愛情を込め、五体から汗がにじみでるような努力をする。この精神は終始一貫変らない。作品に愛情と精魂を傾けても、快心の作が生まれないのが世の常である。たゆまざる努力の結晶で稀には名作が生まれることもあるが、これは、なかなか難しい問題であると思う。私は若い者たちに『青年期の貧乏時代に芸術のために血と汗の努力をせよ』と教訓している。若い時代の苦難というものは、八十を過ぎても決して消え失せないものである。もう私も米屋(米寿のこと)どまりを過ぎて、鳩杖を頼りに、九十九歳まで芸術の鬼となって、精進努力をしたい念願である」
谷川俊太郎「詩も人間の活動である以上、詩以外のもろもろと無関係ではいられない。詩を生き生きさせるのは、言葉そのものであるとともに、無限の細部に恵まれたそのもろもろなのではないだろうか。」
三木清「娯楽は生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。単に見ることによって楽しむのではなく、作ることによって楽しむことが大切である。」

映画の「インデペンデンス・デイ」よろしく、7月4日(今日)は人類(映画の中では)じゃなくて私にとってもはや打つ手なし≠ノ思われた日だった。映画ではその後、父親との何気ない会話から反撃作戦を思いつき、世界各国から協力を仰いで侵略の脅威は去るのだが、私には会話を交わす相手もいなければ、相談して協力を仰ぐ相手もいない(厳密には、話を聞いてくれる人はいるものの、愚痴を吐き出して安堵するのが常で、具体的に改善策を提示してもらっても実行に移さないため、相手に悪いと思って自分から助けを求められない)

いつになったら自分にとっての脅威が去り、祝杯を挙げる日が来るのか。そんな日など永遠に来ず、いつも何かに追われて自転車操業を続けていくのか。こんな現状を打開すべく、遅れている作業を巻き取っていく術を考えて模索すべきとか。こうして考えてる暇があれば、その時間で取り組むべきことがあるだろうと自問自答したりとか。思考が忙しなく飛び火し、無駄な時間を過ごしてしまう